去年の年末大掃除で、木のお皿を割ってしまいました。
トドマツでできたパン皿で、学生時代から気に入って使っていたのですが、うっかり手が滑って戸棚から落下。
木のお皿は割れないものだと思いこんでいたのですが、さすがに2m近く落下して固い床に激突するとだめなようでした。
あ~あ・・・。
とりあえずボンドでくっつければ使えるのは、木のいいところですけど。
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木の器は大好きで、いいものを見つけては買い集めているのですが、取り扱いにはやっぱり、陶器よりも気を使います。
ウレタン塗装していても、フォークで傷をつけてしまえば傷から黒ずんでいくし、無塗装だとカレーなど付けると色が染まってしまうし、自然塗料も傷がつきやすいのでそっと扱います。また繊細な加工されたコースターは、大事に扱わないと欠けたり折れたりしてしまいます。薄い造りのボウルなども、何かにぶつけたら割れてしまうのではないかと心配でそっと扱います。
わたしの雑な扱いによって傷ついた食器さんたちを見ると、反省しきりです・・。
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木を扱う人はやさしくなるのだと、こんなエピソードを聞いたことがあります。
普段から木を扱っている大工さんの集まりで、ある用紙に順番に名前を書いていく場面になったそうです。木の座卓を囲んでいた大工さんたちは、決して座卓の上で文字を書かなったそうな。木の座卓の上でボールペンで字を書いてしまったら、傷が付くからです。全員が自分の膝の上や床の上で字を書いたそうですよ。
こんなエピソードを思い出して、「木は人にやさしい」というけど、もしかしたら「木が人をやさしくする」のではないかと思いました。
温かみや柔らかさ、人間に何とも言えない心地よさを与えてくれる素材である木ですが、いっぽうで繊細で正直扱いが面倒くさいことも多いです。
だからこそその素材に向き合い、そっと触れて暮らしでいくことで、人間の所作が変わっていく。
本当は金属やプラスチックが相手でも、そんなやさしい所作ができればいいですよね。たぶん、ぞんざいな扱いをしてしまえば、彼らも見えないところで傷ついているはずですから。
日本の食器は、湯呑の形ひとつ変えるだけで人間の所作やシーンまで変えてしまうようによく設計されていますが、それと同じことが木の器であっても家の素材であってもいえるのかもしれないです。
どんな素材に囲まれて暮らすかということは、その人の快適性とか便利さだけでない、その人に影響を与える重要な意味を持つのです。
そんなことを考えながら、大掃除中に手を滑らせてガラスのポットも割ってしまいました・・・。
そもそも私、なんか疲れてるのかな~、年のせいかな~?(苦笑)
モノとの付き合いが、そんな自分を振り返るきっかけにもなるのでした。