林業女子のキャリア論:最後はどう生きるかよりもどう死ぬか

「キャリア」って聞くと、一般的には「どう働くか」のことであり、もうすこし私生活も含めると「どう生きていくか」の意味を帯びてきます。

しかし最終的には「どう死ぬか」ということを考えてみると、今抱えている悩みとか迷いに対して、じつは最もシンプルに答えが出るような気がしています。

少々哲学に近くなりますけど、本日のキャリア論です。

 

結婚してよかったことは、入るお墓が決まったこと

私は転勤族の家に生まれましたので、自分のふるさとと呼べる場所がどこなのか、いつも分からずにいました。

色々な場所に住んできたので、「出身はどこ?」と聞かれても、答えに迷うことが多かったです。一番長く住んでいた滋賀だともいえるし、生まれてすぐ住んだ京都ともいえるし、両親のルーツである愛知ともいえるでしょう。今となっては、どこでもいい、すべてが故郷だと思えていますけれどね。

だから長い間、「ここが地元」ってはっきり言える人や、地元愛の強い人がなんとなくうらやましかったです。

自分に明確なふるさとがないと感じてしまうことに、なんだか根っこがないような、不安があったのでしょう。

 

そんな私が惹かれたのは、生まれも育ちも高知県、気持ちがいいくらい高知愛の強い(笑)、今の旦那さんでして。そこにあこがれがあったのかどうかは、よくわかりませんが・・・。

ただ、彼との結婚を決められた理由の一つには、「将来は高知で一緒に暮らして、そこで仕事して子育てしていく」というビジョンが描けたことも大きかったと思います。

 

それで、結婚してから気が付いたことなのですが、結婚したことは私の場合、「ここで生きていく」だけでなく、「ここで死んでこのお墓に入る」ところまで、決めたということなのでした。

井上家には、家の近くの山の中に代々の古い静かなお墓がありす。お盆の時期になると不思議な黒いトンボがたくさん飛んでいる小さな坂道を上がっていくと、木立のこもれびの中にあります。

そこに初めてお参りした時のこと。そのお墓のたたずまいのせいもあるかもしれませんが、「ああ、自分もここに入って眠るんだな」と思えて、なんだかとても安心しました。

 

”入るお墓が決まっている”ことは、私に今まで感じたことのない安心感を与えてくれました。お墓や死というと怖いイメージのはずだけど、実は反対だった。

ずっと故郷がなかった自分に、ゆるぎない還る場所ができたような気がしたのです。

 

ただ一つ決まっていることは、最後は死ぬということだけ。

先行きが見えない、将来が不安。そんな気持ちは誰でも持ち合わせていると思います。もちろん、未来のことなんて確かなことはほとんどわかりません。

ただ、どんな人生を生きても全員が確実に行きつくゴールとは、最終的には死ぬということだけです。

 

だから、どう生きるかよりも、どう死ぬかをイメージしてみることです。

どこで、だれに看取られて死んでいきたいか。みんな泣いてくれるかな?死んだあとはだれがお墓参りに来てくれるかな?

そんなこと想像するのは、怖いというよりむしろちょっとした楽しい感じもあります。ある意味で無責任な妄想もできちゃいますしね。

 

学生時代に三島由紀夫を読みすぎたことも影響してるかもしれませんが(笑)、自分の死について考えることはときたまあります。最近だと年をとってからの終活という言葉もありますが、むしろ若いうちに考えた方がいいテーマだと思います。

何に命をかけて最後の瞬間を迎えるかを考えることは、生きていくうえで何を大切にするかを考えることです。

どこで死にたいかを考えると、行きたい場所が見えてきそうです。

 

生きることに迷ったときには、死ぬことについて考えてみると、キャリアなんて意外とシンプルに考えられるような気がしませんか。

一人で考えるもよし、大事な人や家族と語るもよし、古い書物や小説にあたってみるのもいいでしょう。

すると、理想の人生はわからなくても、理想の死については、みんなだいたい同じような答えが出てしまうのかもしれませんね。

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