「持続可能」とか「循環」という言葉の違和感について

最近はSDGsなども大流行りで、”持続可能”sustainableという言葉がよく聞かれますね。

林業政策においても、最近は”成長産業化”というお金の観点も多いですが、たいていは”持続可能な”(環境や社会の視点で)という考えとセットで語られます。

 

またもう一つ、”循環”とか”循環型”という接頭語もよく出てきますね。

林業でいえば、木を植えて育てて使って、また植えることで資源が絶えることなく再生産されていくに”持続可能”なサイクルが理想とされています。

 

これらのキーワードは、林学をやっていれば嫌というほど聞かされますし、国を挙げてスローガンになっているから、聞いたことがない人はいないほどでしょう。とても大事で必要な観念であり、林業の基本的な考え方だと思うので、異論はありません。

でも突き詰めていくと、時に違和感を感じてしまうことがあるんです・・・。

 

それは、この本を読んだりしたからかもしれません。

 

「日本人はどのように森をつくってきたのか」コンラッド・タットマン著

林学をやっている人は必読書だと思います。名著です。

(重ねている本は、副読本として読むと面白いです「森林の江戸学」)

アメリカ人の先生の著書ですが、海外から見ているからこその大局観で日本の森の歴史がまとめられていて、客観的でわかりやすいです。

これによれば、日本人も世界中の文明や国が歩んできた道と違わず、古代、近世と森の荒廃の危機を繰り返して来たこと、そのたびに失敗から学んで再生と林業の発達をやり遂げてきたことがわかります。まさに森の大河ドラマって感じでドラマチックな物語です!

読んだ私は日本人として、失敗からは素直に教訓を得られ、またご先祖様の創意工夫と努力に対して尊敬の念を抱き感動しました。

そんな風に思うと、最近流行のフレーズに対してこんな違和感を感じるのです。

 

持続してきた歴史がすでにある。

最近いわれる”持続可能”っていう言葉は、なんとなく「今」を起点にして今後も未来永劫現状維持で。というニュアンスを感じるのですが、それって何となく偉そうだしつまらないなと思うときがあります。

日本には紆余曲折ありながらも、2600年も国が持続してきた(世界最古)実績がありますし、森も時にはピンチを迎え姿を劇的に変えながらも、今もそれなりに必要な恵みをいただけるほどに生い茂ってくれています。だから、今を起点に悩んだり考えたり、「未来の子どもたちのために」というフレーズを言ったりするのもいいですが、過去に素直に学びながら、ご先祖様から受け継いだものをただ継いでつなげていくだけなのだ、という謙虚である意味気負わないようなスタンスがいいな、と感じます。

答えは未来じゃなくて過去にあることも多いのです。

また、単に持続するだけじゃなくて、いろいろチャレンジして進化していくという楽しみがないとやってられないのも人間。人は、危機や試練がないと成長しないのかもしれない。森の資源が無尽蔵ほどあった時には、育成林業はなかった。追い詰められたときに初めて、知恵を絞って江戸時代後期の日本で造林育林技術がどんどん発達していったという事実がある。

だから、現状維持じゃなくて、リスクや失敗もありつつ新しい面白いことをやっていったらいいと思う。森(自然)は思ったよりも懐が深いので、ちょっとのことは受け止めてくれる気がするのです。

やっぱり、課題解決を価値創造に昇華していくこと。そういうスタンスも含んでの”持続可能”を目指していくなら、いいなと思います。

 

循環とは同じところをぐるぐる回ることなのか?

もう一つ。よくある循環型林業の図。

(引用元:http://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/26hakusyo_h/all/a04.html)

これは間違いじゃないけど、イメージをどう捉えるかが大事だと思います。

もし、これをこの絵の通りにやってしまうと、同じことをぐるぐる繰り返すだけで、やっぱり発展がない。伐ったらまた同じ場所に同じように植えればいい、と思考停止してしまうような気もします。

歴史上、未だかつてこんなサイクルが続いたことがあったかと考えると、それも少し怪しい。森林の実情は複雑で、一つの土地の利用の仕方も複層的でどんどん変わっていった様子が、先述の本を読んでもわかります。この絵のような理想形サイクルを数回繰り返すことができているのは、吉野や天竜など人工造林の歴史が長い産地だけです。

また、天然林施業とされる三大美林(青森、秋田、木曽)などを見ていると、循環?のサイクル自体が300年くらいと非常に長く、たまたま結果的にいま美林になっているだけのようにも見えるし、また同じような森を作れるのかどうか、人間の短い寿命ではなかなか想像力が要りますね。

でもそういう予測不能、予想外のところが林業の面白さと思います。

同じところをぐるぐるしてる”循環”というよりは、大きく上下左右するダイナミックな流れの中の小さな渦みたいなものが、森単位で起こっていく。歴史というのはそうやって動いていく、やっぱり大河ドラマ!

 

もちろん計画性は大事だけど、思考停止はいけない。どんどん変わっていけばいい。

「循環」というのは、そういう大きな視野で構えているのがいいと思います。

 

いつも、言葉に縛られすぎないように

一つの言葉の意味というのはいつも変わらないようでいて、スローガンとしてあまり使われすぎると、ちょっと本質からそれていったり、違う色がついたり、うさんくさくなったりすることもあります。

他にも最近、個人的にだんだん違和感を感じつつある言葉は、

・間伐材

・地域経済

・木づかい

・活用、利用

などなど。

いいと言われる言葉ほど、疑ってみたくなる。私って天邪鬼ですかね(苦笑)

 

大事なのは、自分の肌で感じ真実を知り、自分の頭で考えて自分の言葉で語ろうとすること。繰り返し言われるスローガンを、自分の世界観で噛み砕いてそれに新しい意味や価値を与えていくこと。

それでないと、言葉に振り回され使われてしまうだけではないか。

 

だから自分が肚に落ちる「持続可能」とか「循環」はどういうことなのかと、考え続けて実行しつづけるしかありません。

みなさんは、どうお感じですか。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中